文字サイズ:
:::
屏東に関するニュース
「湾生」二代目、母のルーツを求めて屏東訪問 夢を叶えるために市役所は温かく協力 
発布日:2016-08-22    
半月前、屏東県長は日本からのe-mailを受け取った。「湾生」2代目である嶋田智子さんの母親は日本統治時代に屏東で生まれ育った。子供の頃の思い出の場所である台湾を訪ねたいという母親の希望を叶えるため、屏東市役所に協力を要請。11日に嶋田智子さん一家は願いが叶って、屏東に来ることとなった。母親が生まれ育った土地に降り立った時、彼女はとても感動した。

県府によると、「湾生回家」の上映後、たくさんの日本人がルーツを求めて訪台している。例えば、今年の3月には日本籍の瑠美子母娘が県府聯合サービスセンターに相談に来た。日本統治時代の戸籍資料はとても古く、歴史や時代の変化により、探すのはとても困難である。しかし、市役所が諦めなかったことにより、最終的にはこの難易度の高い任務を果たした。同時に屏東は最良の国民的な外交を行った。

嶋田智子さんの母、明石志磨子さんは1932年に屏東で生まれ、15歳まで屏東で育ち、終戦後に日本に帰国。現在は84歳である。嶋田智子さんによると、母は台湾が大好きで、ここ数年は屏東での生活のありとあらゆることを思い出す。当時の房舍建築、学校など、昔の様々なことを鮮明に覚えているため、彼女は母に再び昔の思い出の地に連れて行きたいと思うようになった。

7月末、県長は嶋田智子さんのe-mailを受け取り、屏東市役所は提供された全ての資料より、関連戸籍の調査や地図を比較。屏東市は日本統治時代から大きく変貌。戸籍の番号の差異も大きく、市役所総動員で調査を行った。ある人は年配の人を訪ねて昔の記憶を探り、既に市役所を定年退職している薛乃溢氏も手伝って、やっと明石志磨子さんの出生地が福建路一帯である可能性が出てきた。何度もメールでやり取りをし、11日に嶋田智子さん、旦那さん、娘の一家3人で母の思い出の土地に来ることとなった。

市役所の方の付き添いで、嶋田智子さん一家は、母が通っていた中正小学校、屏東女子中学校、出生地である福建路、昔住んでいた家があった場所・自立路などを訪ねた。嶋田智子さんは指輪を持っていた。彼女曰く、当時母親は祖父母に付いて日本に帰国、日本人は如何なる財産を持ってきてはならなかった為、祖父は溶かした金を入れ歯にして日本に持ち帰り、日本帰国後に取り出して1つの指輪にした。これは台湾に対する最も印象に残る記念品となった。


訪台前、嶋田智子さんは日本国家図書館で日本統治時代の屏東市の地図を見つけた。それに加えて、googleマップで屏東市を確認していたが、実際に屏東市に来てみると、思っていたよりもずっと大きく、道は広く、清潔で、とても良い印象が残った。

屏東人の温さは更に彼らを驚かせた。嶋田智子さんの旦那さんは、たくさんの市役所の方々の温かい協力にとても驚いた。ルーツ探しの途中でも民衆から声をかけられ、屏東市60年の老舗店の緑豆露をご馳走になり、夏の暑さを癒した。

嶋田智子さんより、今回は母親が年である事と、健康上の問題により一緒に来ることはできませんでしたが、過去の生活の足跡を探るために訪台できた事をとても嬉しく思います。今回撮影した写真と温かく対応いただいた思い出を日本に持ち帰り母と共有します。
分類:[一般]

  • 関連画像
    1. 「湾生」二代目、母のルーツを求めて屏東訪問 夢を叶えるために市役所は温かく協力
    2. 「湾生」二代目、母のルーツを求めて屏東訪問 夢を叶えるために市役所は温かく協力
    3. 「湾生」二代目、母のルーツを求めて屏東訪問 夢を叶えるために市役所は温かく協力